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近況

2017.05.26 (Fri)

3月半ばに父が亡くなりました。

昨年2月に父が脳出血で入院してから亡くなるまで、とにかく気の休まらない1年でした。

脳出血で救急搬送された際に生死の境をさ迷いながらも復活。搬送先の病院で一か月半の入院後に転院。

転院先で4か月のリハビリを終え若干の不自由を抱えながらも自宅に帰宅。リハビリ継続を兼ねてデイケアセンターに通っていましたが、数ヶ月でまさかの肺がん説が浮上。

いくつもの病院で検査をしている最中に今度は肺炎で脳出血で搬送された病院に再び救急搬送。父の兄弟は肺ガン検査で肺を傷つけて肺炎になったのでは?と不信がっていましたが、この肺炎は肺がんによるもののようです。

脳出血の際に搬送された病院は呼吸器の専門ではないため、肺がん検査のために行った病院に救急車のまま同日に搬送されるも、熱は下がらず。「強い薬を使用しても熱が下がらなかったら覚悟して下さい」という医師の言葉に親戚中に連絡し、来られる方達にはきてもらい、正直年は越せないと思ってました。

が、強い薬が効いたようで、またしても復活。ただこの時点で肺ガンは確実で、ステージもそれなり。78歳という年齢を思えば手術も抗ガン剤治療も無理、肺炎が良くなったとしても余命は2、3ヶ月と言われていました。

実家は無意味に広く、一部屋ごとでしか冷暖房は出来ません。肺炎がせっかく治った後に前ほど自由のきかない体で寒い家に一人にする訳にもいかず、ガンの緩和病棟のある病院で寒い間だけは過ごしてもらい暖かくなったら少しでも実家で過ごしてもらうつもりでした。

とはいえ、重なる転院が精神的な負担になったのかもしれません。せん妄、妄想が激しくなり、最初の数日だけは様子見で一人部屋と言われていたにも関わらず、多動のひどさに、相部屋は他の入院患者の妨げになるから、と、緩和ケア病棟では1月以上一人部屋で過ごすことになってしまったのでした。

父は保険にも入っておらず、終わっていない高額の農機具の支払いと共に一人部屋の追加料金は私と姉の大きな負担になりました。そのため仕事を休んで父の看病に専念という選択肢は私にも、姉にもありませんでした。

多動が少し収まり、相部屋に移れたものの、それまであった驚く程の食欲は失せ(薬に食欲増進剤が入っていたらしく、普段は全く食べないのに、一時期はあり得ない食欲を見せた)熱が出て、意識も朦朧とし始め、相部屋にいたのは数日で、再び一人部屋に。結局、それから数日で亡くなりました。死因は肺ガン。もともと飲んでいた痛み止めが効いていたのか、痛みがひどくなったら打つ可能性があったモルヒネ等の強い薬を使用することなかったし、息は荒かったとはいえ、ものすごく苦しんだ様子もなく亡くなったのは父にも私達姉妹にとっても救いと言えます。

IMG_2879.jpg  四十九日で頂いた花


ゴールデンウィーク中に四十九日を終え、ようやく今迄通りの生活が戻ってきたかな?と言えるの・・・かな。

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